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事件

  • 執筆者の写真: Momoyo
    Momoyo
  • 2021年12月14日
  • 読了時間: 3分

昨日のブログの続きです。


(昨日のブログは長過ぎた。

ケータイで読みにくいと思ったので、

短く、しかも行替えを増やして

書いてみます!)


ベルギーでの親戚同士の、

クリスマスの集まりをどうするか、

昨年は無しだったこともあり、

調整に難航していました。

なんとか日程と場所が

決まり、開始時間も決まり、

ホーム在住のお義母さんの

参加について話し合っていたとき。


夫が「PCRテストなんて

信用できないし」

ということを、

わりに厳しい言い方で

言い出したので、

大喧嘩になりました。



全部で8時間ぐらいの、

消耗するような

あの喧嘩を要約すると

そういうことです。



コロナ情報の全てについて、

市民各自で信用度の高低があることは

私も普段から感じていますが、

消費者として選択肢の少ない

「安全度の測り方」

の一つをけなし始めたら

まあパーティどころじゃない。


私は、

「もう2年目になるんだよ、

この厳しい日々を、

なんとかチラッとでも

忘れられるような日に、

しようとは思わないのか」

と応戦したけれど、

詳しいことは省きますが、

「よくわからないし、

できれば深く考えたくない」

と感じていたので

すっかり疲れ果てて、

人生から喜びが消え失せました。


だからそんなものの言いようが、

どんなに他人から生きる力を

失わせるかを、

有り余る表現力で

説明したところ、

相手もそんな状況に

どんなに腹が煮えくり返っているか

述べてきました。


だからと言って

状況は何一つ改善しませんし、

二人とも三日間ほど

すっかり意気消沈して

まことに無駄な喧嘩だった、

と思ったのです。


でも時間が経つと、

夫は一体どういうニュースを読んで、

どういう情報を「信じる」日常なのか?

いよいよこの件に関しては、

夫婦の間で断裂が始まっていないか?

そう思い、


私の読んでいる情報とは違うことを、

「信じるように」なっているのなら、


「私のことも論破してみせろよ。」


という荒くれた気分になったのです。



いつでも喧嘩をすれば、

我々が立ち返るのは

出会った30年前に喋っていた言葉。

それは英語です。

(仏語は娘が生まれたあと、

しゃべるようになりました)


そうじゃないとフェアじゃない。

夫は仏語が母国語なのに、私は

日本語で喧嘩できないのだから。


そこで英語の本屋に行き、

「私にお勧めできる、

今まさに起こっていることについて

あなたが信じていることを

ちゃんと説明してる本を

買ってください。」


と言って、3冊、買ってもらいました。


「はい、どうぞ」


と夫がそれを渡してくれたとき、

私は一瞬、

「あっ、パパがいる」

と思いました。


本が信じられないぐらい好きだった父は、

本だけを信じている人でした。


大きな手が、いろいろな本を

私に手渡してくれたものです。


夫は私がちゃんと読むのかなと

そのとき心配そうな顔をしていましたが、

「売られた喧嘩を買った喧嘩」の続きです。


クリスマスパーティより

夫婦間の断裂復旧は大事なので、

私も「政治理解の深堀り」に着手せざるを得まい、

と思う次第です。


皆さんもそんな経験は

おありでしょうか。。。


桃代













 
 
 

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