衝動
- Momoyo
- 2021年7月25日
- 読了時間: 3分
夕食にツナサラダを作っていました。赤いピーマンを刻んでまさにそれをレタスを盛ったお皿に開けようという瞬間、窓の外を雷光が照らし、ややもして「ドンガラガッシャーン!」と、絵本のカミナリさんの太鼓みたいに賑やかな雷鳴が轟いた。
その瞬間「ラグラン袖のセーター!編もうと思って毛糸買ってた!」という事実が、忘却の彼方から戻ってきました。このブログ、日本語で書いているのですが、力ずくグーグル翻訳で読んでいる方もいます。この編まれるべきセーターの受取人の宛名をここで明確にできないのはそのためです。念には念を入れ、翻訳されたらとんでもないことになりそうな文章を頑張って書いていこう・今日の文章力講座テーマ。
毛糸を買ったのは前回6年越しで力尽きそうになりながら編み終えた赤いカーディガンが終わったまさにその週。多分、私は毛糸がそのカゴに詰まっていないと指が手持ち無沙汰になってしまった時に非常に困ると考えるほどには「編み棒中毒」なのかもしれません。かちかちと竹の十号棒針が触れ合う音色を一時間につき何百回も聴いていたいセラピー患者なのかもしれません。でもさすがに凝り凝りのアラン編み+前立て、襟付き、なんならポッケもついてます!みたいな作品を次の6年間かけて編むほどの気力がないので、気楽に編めそうな、つぶつぶなネップ入りのアクリル混紡グレー太め毛糸をたっぷりストックしたのです。
家に帰ってきてそれを見ながら、これはラグラン袖に編んだら可愛いな。男物にしても十分な毛糸があるな…。そんなことから、同居人のあの人に、それもお誕生日に、編めたらいいなと一瞬頭によぎったきり。日記によると前のを編み終わったのは5月17日なので、まさに2ヶ月とちょっとの間全く忘れていました。
前日のブログに挙げたように、日曜日のミサで「風は想いのままに吹く」を演奏することができて、今日は頭の中にスーッと風が吹いたとしか思えません。何かが吹いて、頭の中からいろいろ飛んで行ったから、その開いた場所に別のことが入ってきたのでしょうか。
そのことから、ふと、思いました。作品を書いた人の頭の中には、ずっと素敵な音楽が入っていた。それが演奏されたことで、初めて耳からそれを聴いた。創作者の人は、絶対ギャップを感じたはずです。「そんな音楽だったのかよー」と。表向きは、いろいろな人から、「よかったよ」「素敵だったよ」そんな声が聞こえていたとしても。
私はその心の隙間風を、この編み物で埋めて温めてあげようなどとロマンチックなことは思いません。けれども曲を作ったりできない自分からすると、曲を作る人に対して限りなく感謝があります。身内だとかそういうことを別にしても。私は相手に何か「作って」差し出してあげたことがあったか?ご飯とかお弁当以外、まるでありません。
編み物も、他人にあげられるようなものが作れるような腕ではなかったため、自分のものしか編んだことがないのです。ぐだぐだ言ってますが生まれて初めて贈るためにそれを編もう、と雷が落ちた時に衝動的に決めたというお話です。
お誕生日まで2ヶ月切ってますが大丈夫かなそれもどうやって隠し通すんだろう?乞うご期待でございます(誰に)!今日のわかりにくい文章どうでしたか?翻訳バレ回避できたかな?えっ全然意味通じないブログだった?

桃代
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