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美人画

  • 執筆者の写真: Momoyo
    Momoyo
  • 2021年8月24日
  • 読了時間: 3分

着物美人コレクション、というわけではありませんが、

・写真が美しい

・着物が美しい

・着付けが美しい

・着物と帯と帯揚げと帯締めと半襟の組み合わせが美しい

・当たっている光が美しい

・顔が美しい

・髪が美しい

・首が美しい

という美しさの掛け合わされた、本当に美しい画像が、インスタグラムのちっちゃな7センチ四方にぎゅっと凝縮されてスクロールで出てくるのが、このところの楽しみになっています。インスタフォローさせていただいている大勢の方が、今日も今日とて、お着物に身を包み、写真を載せ、「さ、着物を着ましょう」と誘ってくるのです。


江戸時代、美人画が大人気だったのは、主に男性が買うのだとなんとなく思っていたけれど、女性も大勢買ったのに違いない、と今なら確信できます。


社会科や美術の授業で見た、江戸の美人画の、私の子供時代の最大の謎は「どうしてこれが美人なのかな」ということでした。現代っ子の目には、その美がわからなかった。


今、着物の着付けを練習するようになり、人はどこを「切り取っても」美しいというわけにはいかないんだということに気が付きました。ほんの少し襟の形を変えると首がすっきり見える。ほんの少し水色を帯締めに足すと、暗かった顔への着物の紺が、明るさを帯びて、顔色も健康そうに映る。


着物関係の布素材は、自然界に存在する色彩を封じ込めたようになっていて、室内で窓から差し込む光に当たったとき、急に生き生きしてまるで違う色に見えてくることがあります。家の外に出て全体に光が当たると、奥深く眠っていた緑や赤が、黒や紺に見えていた布から急に現れてきたりもします。


美人画の版画も、インスタグラムの写真も、どちらも平面でその瞬間の色と形だけを表現していますが、着物の質感の不思議さを知るようになると、その画像ひとつで浮き上がってくる複雑な美しさに目を奪われ、さらにその奥にある美に想いを馳せるようになります。


体のほぼ全体を「包む」衣服ですが、その代わり、首・手首・足首の「チラ見せ」を偶然に任せない芸術と言っても過言ではありません。洋服だと切ったり縫ったりして調節する部分なので、着るたびに着付けてそこを微調整するのが「面倒くさい」技術なのだと思いますが、背が少し縮んだらどうするのか?少し痩せた日はどうするのか?下に暖かいものを重ね着した日はどうするのか?そのような全ての人間にありがちな調整を、日々できるということが、着付けの美しさだと私は思います。長すぎるドレスの裾を切ってまつることは、ある意味もっと大変なので、そんな風に考えると全く別の次元の衣服なのです。


着物を着た人の写真の美しさを、最初に箇条書きにしましたが、自分が着付けるときも、鏡の中にその各所の美しさを探し、また着物や小物の美しさに直に手で触れながら着ていくのだから、日々、「日常の美しさ」を意識する時間になります。


大袈裟に美しい、美しいと書いたけれど、他の形容詞を使って別の言い方で表現できるなら、ただ「美人」と聞いて思い浮かぶのとは違う次元の、心が踊るような感情をもっと伝えられるのに、と思います。


でも、ごちゃごちゃ言っても最後には結局一言、「美しいなあ」とみんな納得してしまう。そんな不思議な「着物美人」の世界。着ている人が美しいから美しい、だけではなく、それを着た人の心が現れているから美しいのだと、今ならわかります。

現代社会の中での着姿にはある種の緊張感がつきものですが、それも含めて美しいし楽しいなあと、今の私は思います。ベルギーに住んでいるのに、それも自粛で外出禁止だった間に、こんなにも美しい着物姿の人たちと出会うことができたのは、あまりに不思議ではないでしょうか!?

皆さんの周囲には、着物を着る方はいらっしゃいますか?

桃代









 
 
 

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