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マリア像

  • 執筆者の写真: Momoyo
    Momoyo
  • 2021年8月19日
  • 読了時間: 2分

三題噺です。昨日の「星」ブログの続きなのでよろしかったら読んでみて下さい。


私はマリア像を廃止したプロテスタント教会で育ったので、ベルギーに来てカトリックの夫と同じ教会で弾くようになり気付きました。


マリア像を前にして祈る祈りは、マリアという神的なものを崇拝しているのではなく、マリアに「神さまにこうこう伝えておいてくださいね」と祈っているのだということ。


個人的に知らない、立派で有名な人に、自分から電話できない感覚かな?と想像します。神さまを「個人的に知らない立派で有名なもの」レベルに高める仕組みともいえます。


強いて言えば「イエス・キリストは神の子で人の子だ」ということを体現するとき必須だった、そのお母さんを「個人的に知っている立派で有名な女性」にしたのです。個人的に知っていると思えるぐらい、あちこちにいるマリアさん(マリア像)は、ヨーロッパのほとんどの街角に1人は住んでいる(住んでいた)のではないか。わたしも毎日マリア像に会っている気がします。


でも「海の星」、マリス・ステラまで「マリア様のこと」?いつのまにそういうことになったのでしょう。


「アヴェ・マリス・ステラ」=「こんにちは、あの海の星」のグレゴリオ聖歌は西暦900年以前の作品ということなので、マリアを題材にした作品の中でも、「マグニフィカト」が聖書に書いてあるマリア自身の文言が元で「私は神さまを讃えます!」と歌うのに比べると、全く意味は違いますね!


「わたしは神さまにこう言いますよ」のマニフィカトと「こんにちはマリアさん今日もわたしの代わりに神さまに祈ってくださいね」のアヴェ・マリス・ステラ。


ではなぜ星?明日それを書いてみようと思います。それでは良い1日を‼️

桃代




 
 
 

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