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心が合う

  • 執筆者の写真: Momoyo
    Momoyo
  • 2021年8月15日
  • 読了時間: 2分

「心を合わせる」という表現はあるけれど、「心が合う」は滅多に聞きません。「気が合う」は普段でもよく使われています。


私は1週間のうちに三つの昼コンサートを弾きました。ランチタイムコンサートという気軽なコンサート枠なので、聞きにくる方は自由に来場し、帰るときに少し献金してもらうシステムになっています。


自分たちがランディ・ドルグを主宰していることもあり、どんなに大勢のボランティアの人に支えられた活動なのかわかるので、今回の「遠征」では、どんな方たちが企画と当日のお手伝いをされているのだろうということをよく見てきました。


自分の教会を含め共通していたのは、教会全体的に手入れが行き届いていること、きちんとした色々な扉の鍵のシステムが確立していること、時間を問わず街の人がお祈りに出入りしていること。時節柄ツーリストはあまり見かけず、ガイドのような存在も見かけなかったので、そのせいもあって祈る人が目につきました。


たまたま三つともがノートル・ダム系で、今日8月15日がマリア祭のため、最後に昨日弾いたシント・トライデンの教会では、前日の夜練習の間、3人がかりで教会にお花を飾っている最中でした。そのときに、若い男性と中年の女性にお年寄りの女性、と見た目も年齢も全く違う人たちが、本当に楽しそうに花を飾っているのです。それもプロ級の花飾りなのですが「仕事」のような雰囲気はなく、実に楽しそうに笑いながら喋りながら延々と長い時間やっていました。


後で聞くと、その教会ではあらゆることがボランティアで、その道のプロの人が技術を持ち寄って素敵な教会にしている感じが見受けられました。それはそれでいろいろ問題があってね、、、ということはオルガニストからも聞きましたが、私から見るとあのお花の人たちは「気が合う」というよりは「心が合っているなあ」というように見えました。


その結果のお花が今日のマリア祭のミサではお祝いを盛り上げてくれるのでしょうけれど、教会の周辺の市場やカフェの様子からしても、信仰を求めていない人たちもこの綺麗な教会の活動の様子や鐘がガンガン鳴るのを普段から身近に感じてその場所に含まれるものとして捉えているのだろうなあと想像できました。


「心が合う」ことは「合わせましょう」と呼びかけて合わせるのともまた違う、不思議な感覚だなと思います。演奏の極意かもしれません。

8月15日に寄せて。

桃代



 
 
 

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