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自粛とは

  • 執筆者の写真: Momoyo
    Momoyo
  • 2021年8月11日
  • 読了時間: 4分

「自粛」の文字が生活になじんで来ると、自粛とはなんだ、と考えてしまうことにもなります。自がついているのだから、私が自発的に、何かを慎むということです。


人は行動に制限をかけられると驚くほど反発の心が動き、反発にエネルギーを取られて日常に不都合を来たすほどです。制限をかけられたり、何かを強制されたりすると、その圧力を取り除くための意思表明をするのに、多大な人生の時間を費やすものです。


そのことは人間個々がそれぞれの体験によって学んでいることなので、個人差はあるにしても、少なくとも自由意志で生活できているという実感を謳歌できるような社会を作ろうと、私たちは常に頑張っているのだなと思います。


人権という言葉もそのようなベースから生まれていると、私は感じます。


ベルギーや、そのほかのヨーロッパの街角で、道で寝泊りする人々の中には、より良い生活を求めて模索している人たちもたくさんいると思いますが、税金を払う仕組みや、その街の人になるというような戸籍の仕組みに賛成できないという、基本的に強制されたくない人たちもたくさんいます。


私の人生においては、ベルギー国に税金を支払っていても、外国人として「快く受け入れてもらったお客さん」感がどうしてもあるので、この国の仕組みに特に逆らいたいという感情はありません。「郷に入っては郷に従え」で、夫と娘が「ベルギーのここは改善すべき」と言う意見を聞くと、同感しなくもない、という程度です。やはり自分の国に対しては誰でも厳しくなるもので、私も日本の政治家に対してのほうが、ベルギーの政治家に対してより批判的になれます。そんなわけで私はベルギー政府の課した自粛生活に不満はありませんでした。けれども夫は大きな不満があり、毎日そのことについて夫婦喧嘩をしなければいけませんでした。そのせいで私のフランス語が上達した、ということは以前のブログでも書きましたが、冗談でなく半端ない時間の会話を、夫婦間で交わしたのです。夫婦喧嘩にもいろいろあるので、最終的には「コロナごときに関係を分断されないように、それだけ気をつけよう」と二人で自制しながら。


私の人生で私の自由にできることは自分で決めていくべきなんだな、そういう気持ちになったのも、コロナ禍で全体のためにできることは「活動を何もしないこと」だったという不思議な結論に一種の光明を見たからです。集団活動を何もしないことで、個人的活動をする時間は増えるのです。


この夏、ブログを毎日書いていて思ったことは、ブログ活動やインスタグラム更新やフェイスブック利用の時間は、1日にいつでも更新可能だし1日に何度もチェックする可能性があります。私の場合、1日のうちに、日本時間とベルギー現地時間とで2回、やりとりが頻繁になる時間があります。リアルに会いに行く代わりですが、充実した時間を持つことができてとっても楽しいのです。


ただ、家の猫は「ねえ、もうインターネットみるのやめようよ」と声をかけてきます。私も夫に「コンピューター暗くして散歩に行こうよ」と声をかけました。


予告なのですが、8月18、19、20日の三日間、パソコンの電源を切ります。この期間、娘の帰宅を手伝うのでスマホは残します。

8月25、26、27日の三日間は、パソコンとスマホの電源を切ります。


というわけで、今日明日で、その間6回分のブログを書いて、予約投稿に設定しておこうと思います。予約投稿を練習していたのはこれの準備でした。日毎に書いて、すぐアップする方式だと、予告したほどうまく予約投稿できない日も多かったですが、毎日投稿は一応8月31日までしっかり続けるつもりです。


二回の三日間に渡るインターネットなし生活は、私と夫の7月頭のダイアリーセッションで「家でバカンスね!」と決めて、日記帳に書き込んであったことですが、とうとうそれが近づいてきたので、周辺の方々に「バカンスに行きます」というようなお知らせを出すつもりです。メールの返事ができませんし、電話も通じない。実際は、どこにも出かけません!猫と過ごし、晴れたら歩きに行く。


どうなるかな!これは、インターネット自粛ですね!皆さんは、やってみたことありますか。桃代


(散歩に行って、途中でどこかで飲み物を飲むのは楽しいですね)





 
 
 

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