ふらんぽね
- Momoyo
- 2021年7月8日
- 読了時間: 4分
本の表紙にそう書いてあったとき、
静かなベルギーの書店で
あっと声を出しそうに

なりました。
それは日本で、商品ロゴや店舗の看板の
謳い文句に使われている、
まるで飾り文字みたいなフランス語の単語あるいは文章のことです。
あの日本的フランス語表示のことを、フランス人は最近Franponnais(フランポネ)と名付け、それはとうとう一冊の本になる程の社会現象と化したのだ!
(Français=仏語とJaponnais=日本語を合わせた造語ですが、カタカナで書くと妙におしゃれなのであえて平仮名でふらんぽねと書きたい)
これは、蔑んだり馬鹿にしたりしているのではない、
と思います。
いや、ちょっと、ちょっとだけ、
笑っているかもしれない。
フランス語や英語圏に於ける、
海外製日本語ロゴ付きのTシャツの柄のたぐいにも、
フランポネと逆の現象が起きていて、
それにも確か名前がついていたと思う。
私は仏語と英語は喋れるが、
文字を見たときすんなり意味が頭に入ってくるのは
日本語だけ。
ヨーロッパの街角で
「極度乾燥しなさい」
など(洋服屋さんのロゴです)、
日本語がいきなり目に飛び込んでくるあのインパクトは、
旅先でご覧になったことのある方なら
きっと共感してくださるはず。
その逆もまた然りで、
私の家族・友人(仏語人)が日本に旅行している間、
町中の日本語表示がもちろん全く理解できないという、
宇宙人になったみたいなふわふわした毎日の中で、
急に仏語の文章が目に入る。
その仏語の文章は、彼らの頭の中では
・全く意味がわからない
あるいは、
・意味はわかるけれど文法に微妙に間違いがある
・意味はわかるけれど単語の選択が仏語的でない
(そのために別の意味が浮上している)
という幾つかの理由で、とにかく見た人が爆発的に笑い出す、
という強烈なリアクションを引き起こします。
(そういう現場を何度見たことか)
海外の旅先で脳がふにゃふにゃになってしまっているという、
見る人側のコンディションもちょっとやばいのだと思うけれど、
言われてよく見てみれば、私でも
「これは、もう、ウケを狙って作っているのではないのか」
と疑うほどのクオリティー。
ここで例を引くことは「ふらんぽね著作権」に触れるかもしれないので避けますが、
今までに見た例を思い出しながら真似て日本語で書いてみると、
例えば
「雲に載せた私たちの夢があなたの未来を作る」
というような文がルーズリーフのバインダーに小さく書いてある。
その「私たち」は複数形だけど夢は単数形で「作る」が一人称複数形
(つまり「一緒に作りましょう」になっていて、
夢という主語はどっかに行っちゃってる)。
あとは、ぱっと読むと全く違う意味にも取れる、
意味深すぎる謳い文句が、スイートなパステルなロマンティックな
デザインの中に潜んでいる場合など。
ふらんぽねのことを書くと、
「日本人のこと馬鹿にしてるぅ〜(泣)」
という気分になってしまう方がいらっしゃるかもしれないので、
ブログに書くことは今まで躊躇がありました。
それに私は仏語人がウケるほど、フランポネを見て笑いはしない。
しかし、逆の時、日本語がおかしい時はそれはめちゃめちゃウケます。
これは、
・他人の間違いは無責任に面白い
のか、
・尊敬している相手の、ゆるい面を発見できて嬉しい
のか、
・大真面目に商品化・看板化される工程において、
反対あるいは訂正する人が一人もいなかった事実に驚嘆する
のか、ひいては
・そんな世界に一抹の希望の光を感じる
のか。
私の個人的な考えですが、日本がある意味個性的なのは、
日本人にはもともと「役に立たないもの」に対する多大な愛着があることです。
正確な題は失念しましたが「全く役に立たない商品」
のオールカラーブックが出版された時、
私の実家では家族全員一致で、本屋さんで買った覚えがあります。
何度見てお腹を抱えて笑ったことか!
そういう笑いは、西洋人からすると新しいジャンルなんだと私は思う。
ふらんぽねは、意図して笑わせているわけではないので、
この短い感想文みたいな私のブログ枠ではとうてい論じ切ることは不可能だし
自分でもうまく結論づけられないのだけれど。
日本人からすると、それもまた「ちいさきもの」系の
日本の伝統なのかなと思います。
ふらんぽね。
桃代
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