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物語としての着物
- Momoyo
- 2021年12月16日
- 読了時間: 2分
最初にリサイクルの紬を買ってみたのは
「素朴な昔の生活」
っぽい着物を着てみたかったからです。
着てみたかった、
と簡単に言いますが、
実際、着てみる、ということは
「羽織ってみる」
こととは全く違いました。
ようやく、着付けも慣れて、
着て、生活する、
着て、一日の半分ほどを暮らすことが
できるようになって気がついたことは、
着物を着ていると、
日本の昔の話を書いたり、
読んだりしていると
しっくりきます。
(特に江戸時代)
お茶碗にご飯を盛って、
おしんこにお味噌汁、
そんなささやかなご飯が
さらに美味しく感じます。
着物姿で和食のスーパーに行った話を
以前書きましたが、
あのとき私は
食糧補充という仕事以上に、
高揚感を感じていました。
「素朴な日本の生活」っぽい生活を、
現代のベルギーで過ごすということは、
これは着物に物語性を見いだしていると
いうことに他なりません。
私の頭の中で、
着物を着てしか感じられない
流れが生まれて、
些細なことがらを
つないでいき、
紡いでいき、
生活に新しいリズムが生まれます。
この間読んでいた、
「美しい着物」という雑誌の、
着物の模様についての特集では、
着物に絵柄として描かれた
物語性について言及していました。
誰が、何を行ったかというような
限定的な物語は一つもありませんが、
風景があり、
季節があり、
異国情緒があり、
慶びの表現があり、
遊びの表現がある。
着物に意味を求めるのではなく、
自分でそこに意味を見いだしてください、
と着物に言われている気がしました。
物語を語るのは、あなただよ、と。
自分の物語を生きるのは、今日も明日も自分だけですよね。
そんなことに気がついた、
2021年の終わり。
着物と出会えた記念の年です。
桃代
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