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その日限りのしあわせ

  • 執筆者の写真: Momoyo
    Momoyo
  • 2017年9月5日
  • 読了時間: 4分

Wien

夏の終わりに義理の父の葬儀があって、その前に起こった全てのことは、一昨年の夏の出来事のように遠く感じられる秋の入り口。

八月中旬に夫婦で出かけた初めてのウィーンの、夕暮れのレストランで撮った一枚の夫の写真を見た時に「このとき、夫はまだこの悲しみに満たされていなかったんだな」という思いが胸を貫いて来て、当時自分たちのしあわせをどのくらいわかっていたのだろうかと、自らに問いかけてみたい気持ちになりました。

ウィーンの夜のオルガン探訪の後、この写真のグラーベン広場で、修復された素晴らしい家並みに囲まれて冷たい飲み物を飲んだ時、よく見たら1693年のペストの流行で命を落とした人々の鎮魂のための塔であることがわかり、そこで気軽に飲み物をいただいて、ロマンチックな気持ちになっているなんて、、、と思ったこと。

その後スロヴァキアに移動してトゥルナヴァという昔むかしには「小さなローマ」と言われたというような綺麗な教会ばかりある小さな街に行ったら、オススメのカフェというのが、ユダヤ教の教会を改装したもので、ブルーの天井に六角の星が描かれた、お祈りの場所が換骨奪胎されていたものだった。そこのテラスで美味しいコーヒーとチーズケーキを食べてから、ホテルに帰って、インターネットでその教会の歴史を調べたら、それは悲惨なものでした。3000人のユダヤ人が収容所に送られたけど街の人は庇護しなかった(と一言には言えないとは思うものの)。そして今ベルギーからユーロ共通だから便利だよねと言いながら演奏会を弾きに来た私たちが写真を撮ってしあわせな旅行だったねと言う。

いろいろ考えると、簡単にハッピーハッピーって言えないね、と心にブレーキをかけつつも、全ての気持ちには嘘偽りなく、私たちはこの夏あらゆる場所で本当にしあわせだったんだと、改めて思うのでした。もう一度戻ることもできない、そのときその日限りの大きなしあわせ。

そのあと悲しいことがたくさん起こったとしても、歴史的にたくさんの悲劇が起こったのだとしても、そのときしあわせだったことを「おととしのことみたい」なんて感じるほど記憶喪失になるのはいけないと思う。

わたしはそういう人になりたくないよ。と、

新学年になって新しく生徒たちと出会い直す週間に、「良い夏休みを過ごされましたか」と訊いてくださる大勢の人たちに、

「えーなんだかいろいろあってよく覚えてないです」なんて言いたくないなと、

溜まった家計簿をつけつつ(家計簿はいろいろなことを思い出させてくれるのでそれもすごい効用だと思う)、

「あの日私たちは本当にしあわせだった!

あのとき見た風景は本当に素敵だった!

訪ねたオルガンはどれも個性的だった!

そして夏に出会った人たちのことも本当にありがたく大事に思う!」

と、夏休みの絵日記並みにシンプルで、しかし心からの感慨に打たれ(たいと思い)ます。そうありたい。

感情は理性でどうにかできるものではないけれど、感情はちょっと怠惰なものだ、とわかっていることも大事だなと思うのでした。

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*身だしなみの道。*

夫は新しいスーツを新調してお葬式の朝初めてちゃんとパンタロンを履いて座ったら脛の半分ぐらいまで足首が丸見えで(なんだかそういうスタイルらしい、立っているときはすらっとして素敵なのだけど)靴下が水玉でどーしよーとなったり泣いて目をこすりすぎたらしくわたしの右眼球に鮮血のように真っ赤なシミができていたり(コンシーラーでも直せません。)ウォータープルーフのマスカラ(ランコムのドールアイ。とても綺麗に長くセパレートになるしブラシも使いやすく泣いても落ちない。つまり準備は万端だったのだが)を一本だけ前日に購入して娘と共有で使おうとしていたら、別の宿に泊まることになってしまって当日朝に「マスカラSOS」の電話が来たりポジティフオルガン搬入に合わせて早めに教会に行った夫を靴クリームとブラシを持って追いかけたり、、、細かい気遣いの積み重ねである、身だしなみの道は険しい。


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