2020年春の日記
- Momoyo
- 2020年4月19日
- 読了時間: 7分
更新日:2020年4月20日
3月1日(日)
教会で、子供達に「砂漠を40日歩こう」の歌を教える。
私の仏語の発音を一つ、小さい子が(小さい声で)直してくれた。
か…可愛い〜。心がほっこりした、受難節第一週の日曜日。
3月2日(月)
オルガンコンサートのアシスタント。
フランツ・リストの作品を聴いていたら、
疫病の多い時代、リストも苦労したよねと急に思う。
数日後に日本に行く予定なので、午後は春服を何枚か買った。
でも、音楽院から「イタリアに行った人はレッスンに来ないように」
とメールが来ている。そんなシリアスなのか?
と、色々調べ始めた。
日本のオルガニストの友人からも情報をもらう。
3月3日(火)
教えに行く中のトラムで
「今は日本に行くべきじゃない」と思える記事を読んだ。
その時はオリンピックを開催したいならという動機の
文章だったけれど、大筋では説得力があった。
3月4日(水)
日本の家族とメッセンジャーで話して、
昨年2月に肺炎にかかっていた私は、自分のためにも
明日の日本への渡航を諦めるべきと意見が一致。
大人なのに、わあわあ泣いてたらざあざあ大雨が降って、
大人なのに、気がついたら銀行のキャッシュカードを落として帰宅。
気がついた夜中に、カードストップでばたばた連絡。
3月5日(木)
教会の大オルガンの工事が始まり、巨大ふいごが二つとも
運び出された。今から思うと、まるでオルガンの肺を守るため、
隔離したようにすら感じられる(アレゴリー)。
寂しさで日本にも電話できず、練習もできず、
気分を変えるために、あるいは隠遁生活に入りたくなって
725ページの20世紀の音楽の話を書いた仏語の本を
前書きから読み始めた(本気ってこと)。
3月6日(金)
本当なら今日は私はここにいなかったんだな、
と思うと、「家事から脱出すること」も
日本行きの楽しみの中に含まれていたんだ、とわかる。
だから無農薬マーケットの重い荷物を
今日は一人で運べそうもないよと家族に言った。
その結果一家揃って三人で行って、楽しくたくさん買って、
三倍買い込んだ(結局全員重かった)。
3月7日(土)
教会で、大オルガンが使えないので
借りて来てあったポジティフオルガンで伴奏。
たまたま外部の合唱団が来ていたので、
小さい楽器の方が伴奏しやすかった。
心から感謝して弾いたり歌ったり祈ったりできたのは、
普段、滅多に教会の式の中に入ることがないから
(大オルガンは壁にぶら下がっているので、
みんなの中には入れない)。
3月8日(日)
朝から教会。
前日と同じように小さなポジティフオルガンで
満員の会衆と合唱の伴奏。
昨日と打って変わって、
全然このサイズじゃ音が足りないな、
来週どうしよう、と悩む。
(実際は悩む必要はなかった。
これが当分最後のミサになった)
午後は電車に飛び乗って夫の従兄弟の娘夫婦の
赤ちゃんの幼児洗礼式で、大勢の親戚と
夜遅くまで幸せな時間を過ごした。
娘と、いとこ・はとこたちは仲良しなので、
そういう若い人たちを見ていると幸福。
3月9日(月)
書き物が溜まっていたので、コンサートは夫に任せて
丸一日机に向かっていた。
ランディドルグコンサートはこの20年間、
毎月曜日やっているので、オルガンの修理中も
ポジティフとチェンバロを使った作品を用意して、
聴衆は普段のように大オルガン側を向くのではなく、
教会のクワイヤの中に椅子を運んで、その場所特有の
丸天井から滑り落ちてくるようなバロック音楽を
堪能したらしい。聴きたかったな。
3月10日(火)
家にいるだけなのに風邪をひいて
教えを休む。生徒側にも風邪気味の人が多く、
「お互いお大事に」とメッセージを送り合った。
でもそれ以上ではない。
3月11日(水)
また3月11日が来たんだな、と思う。
風邪で教えを休む。
なぜかこのアカデミーのオルガンの大きい方が
故障して、私が休みで良かったということになる。
(大オルガンは20年に一回ぐらい整備をしますが、
実際壊れたりは滅多にしないものです。
一体なぜ今壊れた。調べたらモーターだった。
その楽器は40年目ぐらいでした)
3月12日(木)
教会が4月3日まで閉鎖を決めた。
イースターの一週間前には再開できるかもしれないという
理由のない期待を込めてその日付になっていたと思う。
通達は国より一日早かった。
夫と数えたら二人で弾いている二つの教会の合計で、
ランディドルグコンサート3回と
ミサ12回x2教会、休みになるとわかり、
急にそう言われても、どういう感じなのかわからず、
なんだか気が抜けた。
3月13日(金)
あら。13日の金曜日ね、と冗談を言っていたら、
学校、大学、音楽アカデミー、
全部閉鎖の通達があった。
もうすぐ室内楽の試験なので頑張って練習していた
娘の仲間たちが、みんなイースター休暇まで
休みになってしまうということで、続々街から去る。
せっかくだから居る人で何か弾こうよ、というのも
無理になる程、みんないなくなる。
そのあたり、全く段階というものがなかったので、
「ぷっつん」と日常が断ち切られ、
学生たちは一番かわいそうに思う。
3月14日(土)
夫が熱を出した。コロナで指標とされるほどの高熱でもなく、
様子見。でも彼は先週と先々週パリでコンサートを
していたのだ。結局はこの日からミサがないので、
夫はホッとして気が緩んだのかもしれないと思う。
疲れが出ている。私の風邪は良くなり、
こうして夫を看病していると、
日本に行かなくて良かった、と感じる。
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長々と要約しましたが、こんな感じの2週間を経たあと、私の日記帳の内容は
「xxがなかった」「xxがなくなった」と、何がその日起こらなかったか、
将来的に何がなくなるか、ただただ書いてある日記になって行く。
それにしてもそんな日記帳初めて見たよ、と改めて読み直すと感慨深い。
ここのブログも書きようがないというか、ほったらかしだった。
「キャンセル」「キャンセル」の対応も結構忙しかったです。
フィリエの仲間の一人はコンサートのキャンセルを数える癖がついてしまったらしく、
私からキャンセル情報を流すたびに、
「はい12個目〜」「はい15個目〜」
と言ってくるので、
「私よりもっと大変な人はいっぱいいる」
としんみりしてしまったのでした。
三月も終わりになると、みんな「コロナ的状況」のプロになり、
わざわざキャンセル情報を公式に伝えなくても、
「そうだよね、わかってたよ」という感じでしたが、
さすがに6月の終わりのウィーンツアーが来年に延期になった時は、
「良かった、だってみんなで練習もできないのにどうしろって言うのよッ!」
という感じで、どちらかというと、安堵。
逆に、家でゆっくりさらおう、というムードになり、
伴奏部分を録画して歌の二人に送ってみたり、
誰にも頼まれちゃいないのですが結局は
「弾けなくなるには早いのでは」と感じるので
弾けることは弾いて行こうと日々、淡々とさらう。
今日、4月19日は、ベルギーでは二度目に先送りになった、
閉鎖の終わる予定日だったので、
それが現時点では5月3日に三たび延期になったところで、
一言ここにも書いておこう、と思いました。
書き始めたら、一言以上の長いブログになってしまいましたが、
家族三人で暮らしながら、ひと月あっという間だったね、と
今日は話しました。砂漠の40日超えちゃったよね、と。
あの教会の子供達はどうしているだろうか。
(英文で、ロックダウンよりも使われがちなキャランティーンQuarentineは仏語だと
Quarentaineで、どちらも40日ぐらいの期間、の意味)
うちでは、なんとか仲良く暮らしています。
今しかできない、と思うような大事な話も、なんとなくできました。
多分、この一ヶ月の共同生活があったから、できたんだと思うと、
そのことには感謝したい。
家族には、必ず深く話し合える話が一つや二つはある。
それを話すか話さないか、考えているうちに、
時が過ぎる。
家族には、必ず誰か悩んでいる人がいる、
その人のことを心配だなと感じるけど、
その人の心を受け止めるのは私じゃない場合だってある、
人間てそういうものだよね…
そんなふうに待っているうちに、
時が過ぎる。
けれども時が過ぎても、家族以外の登場人物が現れない状況下では、
何かしら同じ屋根の下で「見たことがない劇」のような空気が生まれる。
それが悲劇や喜劇にならないように、
それよりは教会の片隅で耳を傾けてくれる友人のように、
家族の声を聞きあってみる。
感謝しながら、祈りながら。
言葉があるのだから。
みんなも元気でね!
みなさんに、会いたい!!
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