ピアノ
- Momoyo
- 2019年11月15日
- 読了時間: 2分
最初は、やりたい楽器として、
ピアノを自分で選んだのではありません。
母が幼い時、習い始めたけれど、
練習楽器がなくて挫折したというピアノを、
私が幼稚園の時に始めさせてもらいました。
最初に買ってもらったのはエレクトーンでした。
それから数年後に先生を変わって、
母方の祖母がピアノを買ってくれて、
それからはピアノの音が大好きだった。
小学校では「蚊の泣くような声」と言われ、
ピアノも大きな音は苦手でした。
叩いた時いい音にならなくて、
リズム的に苦戦していた。
それで先生を失望させてしまったけれど、
私は耳がたぶんよく聞こえたのだと思います。
自分では十分、大きい音で弾いているつもりだったし
リズムが少し遅れても、全部思うような音色で
打鍵したいという気持ちが優先していた。
小学2年生の時に、何故か、
修了アルバムに
将来の夢・ピアニスト
と書いてあるのを、
あとで見つけました。
その時何を考えていたのかは
わかりません。
学校では国語が圧倒的に得意で
音楽は成績はまあまあでした。
小学6年生の時に
ショパン・コンクールを聴いて
当時22歳だった
ダン・タイ・ソンの演奏に
感動して、言うに事欠いて
「私もあと10年あれば
このぐらい弾けるように
なると思う」
と母親に言ったのは
一体何だったのでしょうか。
私は自信があったわけではないし、
今も特に自信はないです。
今はオルガニストですが、
ピアノを弾くと今でも
昔のことが蘇ります。
ピアノを弾いていると、
悲しい時も慰められたし、
安心できた。
さらに言うと
ピアノを弾くと、
ああ、自分だな、
という気持ちになれたし、
今でもなれます。
オルガンでそうなるまでには
長い年月がかかりました。
オルガンが難しい楽器だったので、
それは何事も修練ですが、
今思うと、ピアノという楽器は、
初心者の頃から自分らしさを
探求させてくれる気がします。
自分らしくなれる時間は
生活の中では案外少ない。
子供ですら社会的になればなるほど
そうだと思います。
ピアノが世の中に存在していること。
奇跡かもしれない。
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